中心のない生き方♬
フェイスブックやメディアを眺めていると、時代の流れでどう生きていくかという記事が多いなぁと感じます。ということで、生き方についてわたしも書いてみようと思いまーす。
ネオスピではエゴこそが「わたし」だとお伝えしています。そのエゴの1番怖いことは、肉体的な死と自己価値の死です。
体が死なないように「食べていく」ことはとっても大事で、また役にたつ自分であることや、存在価値がある自分でいることは、生き残っていくために大切なわけです。
経済的に豊かな人でも苦しむのは「こんな自分が生きていたって・・」と思ってしまうからだと思います。
んで、そうやって「自分を存続させる」こと、しかも出来るだけいい感じで生存させることに、わたしたちはものすごくエネルギーを使っているわけです。
「いやもう人生を諦めてますから〜」という人であっても、自分(エゴ)の認識ができていない限り、そこには恐れと無力感(自分には力がない)など、いろんな思いが湧いていて、かなり重いエネルギーを抱えながら生きています。
もし「いけてるパリピ」になっていれば、エネルギーはだいぶ軽くなりますが、それでも自分を維持するエネルギーはかなりのものです。
自分を維持するエネルギーというのは「わたしがどうにかする」という思いです。かっこよく言えば「意志」のエネルギーですね。
わたしが決める、わたしが計画する、わたしが実行する、わたしがしないといけない、わたしの責任、、、
わたしのことは私しか決められないのだ、という思いは、もちろんその通りで、自分のことを他人に決めてもらわないと進めないというのは依存といい、それはそれで人間関係の不幸の始まりです。
依存という関係性を考えれば、精神的な自立っていうのは、健全な人間関係の基礎ですので、決して「私が〜」という思考が問題だといいたいわけではありません。
でもね、もう一つの生き方ってあると思うんです。
それはある意味「中心のない生き方」とも言えます。
自我的に考えると、中心がない生き方なんて、自分軸がないの?腑抜けてフラフラして生きる?という風に聞こえるかもしれません。
もちろん、そうじゃないです^^
今までは自分(自我)が中心にいて、生き残るために必死に勤しむ生き方をしてきたけど、その中心を「気づいている意識」に明け渡して見るということです。
つまり自分軸を、自我から「魂、生命、純粋な意識、神、ハイヤーセルフ」と言われる存在軸にする。ということです。
例えば、私は人見知りはしませんが、少々コミュ障気味のわたしは、初めての場所に行く時や初めての人に会う時、いつも緊張します。
相手がどんな人がわからない、自分が受け入れてもらえるかわからない、と思い始めると、頭の中で妄想が始まります。
こんな風に挨拶して、これだけは伝えたいことがあって、そしてすぐに終わらせて帰るようにしたらいいか。。。。みたいな「自分計画」を立ててしまうんです。この計画の中に、本当の相手はいません。ただひたすらわたしの妄想の中の顔も見えない相手がいるだけです。
この場合、自我(小さいわたし)が、これからどうするか、どう解決するかを決めている状態です。
緊張すればするほど、焦れば焦るほど、うまくやりたいと思えば思うほど、頭の中が忙しくなり、こうしよう、ああしようと考えています。
自立して自分で考えてはいますが、ベースが自我なので恐れを無くそうとすることばかりで考えてしまっているわけです。
でももし、人生の流れを決めているのが自我(小さいわたし)ではなかったとしたら?
人生は、わたし(自我)が決めているのではなく、魂(生命)がわたしを動かしているとしたら?
ネオスピでは、人生はわたしではない何かの力で動いている。という考え方を原則としています。
だからまずは、深呼吸して緊張を落とし、魂(生命)の流れを信頼し、リラックスしたままで自分から出てくる言葉、行動を信頼する。
そして相手の言動に対して、その時に自分から出てくる反応を信頼する。
ということをしています。
それは恐れや緊張、自己否定ではなく、本質の流れを信頼した生き方です。
あ、こう生きれば全てはうまく行く!というそういう話ではありません。そういう話にした途端、自我の小さい世界に戻ってしまうでしょう。
自分にとって都合が良いか悪いかではなく、魂が指し示す智慧や深さ、優しさが見えるかどうかということです。
自分の魂を信頼し、一見自分にとって不都合なこと、悲しいこと、腹の立つことの中に、人生の宝「自我が愛に変わる瞬間」を見つけることができるか?ということなんです。
そしてそれが生きる軸となるかどうか。
そのためには、やはり本当の自分って何なのか、とう根本的な問いってすごく大切だなあと思うのです。
私たちが、自分は体だ、思いだ、感情だ、と思っている限り、魂軸へのシフトは難しいです。
もっと難しいのは、自分は愛だ、自由だとパリピしちゃってる場合かもしれませんが・・・
でも、それらも間違っているというよりは、小さい自分が必死に頑張って生きているということであり、聖なる計画の一部であるということは、間違いのない真実です。だから、間違ってないのです。
夜明けが近いということでもあるからです。
今もし、何も感じられなくても全く大丈夫です。大切なことは、今までの常識って思い込みだったり理論だったり、誰かの知識の鵜呑みだったりしている可能性を感じて、少しだけ(そうかも・・・)と心をオープンにしてみることでしょう。
そうであれば、魂のタイミングで必ず大海原に運ばれるはず。
なぜなら、それ以外に私たちの行く場所はなく、そして本当は最初からずっとそこにいるからです^^
〜〜〜お知らせ〜〜〜
ネオ・スピリチュアル講座の募集を2月18日(木)より開始を予定しております。
3月スタートの6回シリーズとなります。
また詳細をお知らせしますね!