自分らしい生き方のコツ

自分らしく生きるのには、コツがいるのです。

御神木のパワーをいただく件

 

御神木に触っている人を見るようになったのは

ここ14、5年くらいの間だろうか。

 

結論から書くと

御神木に触ってパワーを得ようとすることは

あまり感心しないし、もっと言えば

本当の力をいただけない方法だと私は思っている。

 

神社という場所柄

そこに生息する植物たちは

確かに通常の植物より何かしらの「力」を持ってる。

 

が、これは私たちが思う「幸運になる力」ではない。

 

潜在能力を開花させる力でもないし

良縁を結ぶような力でもない。

 

素晴らしい力をもらえるから

御神木に触って力をもらおう!とおっしゃってる人と

私が見えている世界とは違うのだと思う。きっと、うん。

 

私も神社好きなので

いろんなところに参拝に伺うけれど

 

御神木に集まっている人たちを見ると

そこにはなんだか黒いものがもやもやと発生している。

 

あれはきっと「欲しい、欲しい、欲しい」という

欲しいお化けなんだと思う。

 

神社という特別な場所で

欲しい欲しい欲しい欲しい、という欲マルケで

植物に触り抱きつき、挙句の果てには

木の皮を剥がして持っていこうとするその行為って

神様が見たらどう思う?という話だ。

 

まあ、神様というのはバチは当てないので

悲しい顔してみてる感じだけれど

眷属の皆さんは割と怖い人?が多いパターンありあり。

 

どうか最低限のマナーだけは守って欲しいなと

ご自身の幸福のためにも願っている。

 

そうそう

御神木に触るには身を清めてから、という説もあるようだけれど。

 

身を清めようと何をしようと

「欲しい欲しい欲しい」という

その自分の欲を内観してみない限り、

本当の意味で清まらんわな、と私なんぞは思う次第。

 

正しいお参りの仕方なんてないけれど

日本人としてのマナーはある。

それは日本に生まれた私たちの美しさなんだ。

 

他文化の人には絶対に真似のできない

畏怖と感謝の念を持った誠実な心根。

 

実はそれこそが「力をいただける器」になる。

 

パワースポットに行っても

内側に「もらえる場所」がないと持って帰れないのだ。

とても残念だけれど。

 

 

参考までに。

私も御神木は大好きなので

周りに人がいない時には、そばに行く。

幹や根を踏まないように注意して

御神木の木陰にそっと佇むと

枝からサラサラと何かが落ちてくる。

光の小雨のような感じが多いかもしれない。

光のシャワーという感じがわかりやすいだろうか。

それを気持ちよく浴びる(ような感じを感じる)

次の人が来る気配がしたら終わり。

そっと感謝をして立ち去るようにしている。

 

この光はいただけないこともある。

光のシャワーをいただけない時でも、それはそれ。

今の私には必要ないんだなと受け止めて感謝する。

 

本当に気持ちがいいし

御神木との交流ができたような気がして

すごく嬉しい気持ちになる。

 

みなさんもぜひ

御神木の優しい光のシャワーを浴びて

その心地よさを体験して欲しいと思う。