自分らしい生き方のコツ

自分らしく生きるのには、コツがいるのです。

神様はウーバーではない

 

神様にオーダーするっていう考え方がある。

 

私も「依頼」して生きているので

とても共感するのだけれど

願いが叶わないという方のために

オーダーの意味を少し書いてみようと思う。

 

最初に書いちゃうけども

神様はウーバーではないので

注文した望みを全部持ってきてくれる

「はずがない」のだ。

 

だから願いが叶わないのは

オーダーの仕方が間違っているのだろうか

と自分を責める必要は全くない。

 

そもそもが違うのだから。

 

神様をウーバーと勘違いしたシステム(手法)の中にいると

きっとずーっとこの間違いをし続けてしまう。

 

このことを話すには

外側の神様に助けてもらえること、や

誰が自分の望みを叶えてくれるのか、や

いやそもそも、その望みを言ってるのは誰なんだ、とか

 

まあ、いろんな基礎的なことを

網羅してお伝えしなきゃならんのだけど

 

とりあえず(取り急ぎ?)

自分の人生をどうにかしたいと願うなら

 

神様を

自分の思う通りの商品を持ってきて!と

出前扱いしていることに気づくところから始めよう。うん。

 

そんなことをしても

きっと人生はあんまり良くならない。

 

っていうか

エゴの欲しいものと

本当の生き方って

ちょっと、いやかなり

開きがあってね。

 

自分を省みる時に来ているので

そろそろ外側ばっか見てるな〜って

自己分析できるといいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

小さな喜びと幸せ

 

誰でも「最高に幸せ!」と感じる以外に

ほんの小さな喜びとか、

嬉しいなあと思うことが日々あると思う。

 

それって本当に本当に、小さなことで。

 

 

例えば

欲しいと思っていた本が買えて

まったりとカフェオレ飲んで読める喜びとか

子供の寝顔を見て

ほわわんとした幸せを感じたりとか。

 

 

もっと言えば

いつもと同じ道を歩いていて

春風を感じて気持ちよくて

空の青さを見て幸せになったり

本当に何にもしてないのに

洗濯物を干したりたたんだり

そんな何気ないことに感じる喜びとか。

 

なのに、なのにだよ?

こういう小さな喜びに全く気づかなくなって

ついつい目に見える成果や報酬ばかり追ってしまうとか

時間に追われる忙しさの中で

こうした小さな幸せを感じる余裕がなくなったりすることがある。

 

これはあたし自身が20代〜40代の20年間

(よく考えたら怖いくらい長い・・・)

忙しすぎて、悩みすぎて、

自分を省みることもできずに

空が青いことも、

虫の声が聞こえることも

季節が移り変わる美しい色も

全く見えない、殺伐とした生活をしてたから。

 

 

目に見える物質的な世の中で

物質的な幸せ、わかりやすい幸せを追うことが

いつの時代でも流行ってるけど

 

でも本当はそうじゃなくて

どんな環境であっても

小さな喜びとか幸せを

自分が拾えるかどうかで

人生の質って決まっていくのだと

50代半ばになって心からそう思うようになった。

 

 

小さな幸せや喜びって

あってもなくてもいいや、と思うかもしれなけど

 

人生なのかで

こうした小さな幸せの発見ができるかどうかって

人生の質が全く違ってくるものだと実感してる。

 

恵まれてるんだからとか

あるものを喜べとか

頭で理解して実行するんじゃなくて

 

心からホッとする、リラックスする。

体が緩む、ほわっとする。

そんな体験、体感があることが大事だよね。

 

そんなに難しいことじゃない。

 

まずは空を見上げて

「ああ、空が綺麗って思ってなかったな」

って実感してみて欲しい。

 

そこから全てが始まるから。

 

 

今日は病み上がりで

やっとこうして打てる時間があることもまた

小さな喜びだと思う。

 

小さな日常だけど

とんでもなくありがたいことだと

改めて感じる日。

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

スピの夢から覚めると見えるもの

原稿を書きながら

本になるのにはまだ時間がかかるじゃない?

でも辛いのは「今」なんだよね。うん。

とか独り言を言いながら、ここに本の内容を書き始める(笑)

本になったら削除するかもしれんなー

このまま残すかもしれんけど。。。

ってことで今日はスピの夢から覚めるってお話。

 

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『本当のわたしは魂であり、この世に生まれた理由は魂を成長するためなのだ』というスピリチュアルな夢を長く見ていました。

 

でも、ネオスピリチュアルの元になっている体験をした時に、それもまた夢に過ぎなかったのだと知りましたが、その時はショックというよりも、なんか心の奥の方でホッとした記憶があります。

 

この世に生まれた理由に「何かをする必要がある」というものは、ありませんでした。

 

自分を成長させるとか、人生をうまくやっていくとか、人間関係を修復しなくてはとか、仕事を成功させなくてはとか、苦しみは受け入れなくてはとか、、、

わたしは愛を生きているだろうか、、

わたしの魂は成長しているだろうか、、

わたしは目覚めているだろうか、、

 

とかとかとかとか

魂の成長に気を向けて生きるということは、わたしがやらないといけないことが沢山出てきて、毎日毎日をそうしたことにエネルギーを注ぎ、不安や心配が出てきて、またそのネガティブな思いを打ち消すように学び努力する。

なんなら、努力しないように努力する。

 

つまり、生きるということは「わたしが何かをすること」だというのが、夢だったと気づいたのです。

 

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本当のわたしに気づくと、そういうことはどうでもいいことでした。

 

あっと!

世の中に不幸はないとか、そういうものを見なくていいという話じゃないですよ。

 

自我の世界観に生きれば、当然のように不幸な道筋やそれをなんとかしようと心を砕く道筋などあらゆることが起き続けます。

 

ただ、少しだけ視点を変えることができる、ということ。

 

物事は全て流れていきます。

辛いこと、悔しいこと、惨めな思い、楽しいこと、絶望感、、

こうした感情を引き起こした事実もまた、流れていきます。

 

今感じているのは、その時に感じた思考や感情。

それは自分でしがみつくのをやめなくては、いつまでも「今」にあり続けます。

自分でしがみついている限り、その感情は今起こっているかのように感じてしまう道筋を生きているということです。

 

本当のあなたは、道筋ではありません。

ただ、流れていく物事にしがみつかず、その時その時の喜怒哀楽を感じて流れていくことを見ている意識です。

 

全ての中心にいたと思っていた「わたし」は存在しません。

それは小さいわたし(自我)。

 

小さいわたしを超える存在が本当のあなたです。

 

とはいえ、スピリチュアルな夢も夢として、楽しんで生きていけるようになりました。

なんでもあり!と笑えるようになれたのも、ネオスピのおかげです。