スピの夢から覚めると見えるもの
原稿を書きながら
本になるのにはまだ時間がかかるじゃない?
でも辛いのは「今」なんだよね。うん。
とか独り言を言いながら、ここに本の内容を書き始める(笑)
本になったら削除するかもしれんなー
このまま残すかもしれんけど。。。
ってことで今日はスピの夢から覚めるってお話。
『本当のわたしは魂であり、この世に生まれた理由は魂を成長するためなのだ』というスピリチュアルな夢を長く見ていました。
でも、ネオスピリチュアルの元になっている体験をした時に、それもまた夢に過ぎなかったのだと知りましたが、その時はショックというよりも、なんか心の奥の方でホッとした記憶があります。
この世に生まれた理由に「何かをする必要がある」というものは、ありませんでした。
自分を成長させるとか、人生をうまくやっていくとか、人間関係を修復しなくてはとか、仕事を成功させなくてはとか、苦しみは受け入れなくてはとか、、、
わたしは愛を生きているだろうか、、
わたしの魂は成長しているだろうか、、
わたしは目覚めているだろうか、、
とかとかとかとか
魂の成長に気を向けて生きるということは、わたしがやらないといけないことが沢山出てきて、毎日毎日をそうしたことにエネルギーを注ぎ、不安や心配が出てきて、またそのネガティブな思いを打ち消すように学び努力する。
なんなら、努力しないように努力する。
つまり、生きるということは「わたしが何かをすること」だというのが、夢だったと気づいたのです。
本当のわたしに気づくと、そういうことはどうでもいいことでした。
あっと!
世の中に不幸はないとか、そういうものを見なくていいという話じゃないですよ。
自我の世界観に生きれば、当然のように不幸な道筋やそれをなんとかしようと心を砕く道筋などあらゆることが起き続けます。
ただ、少しだけ視点を変えることができる、ということ。
物事は全て流れていきます。
辛いこと、悔しいこと、惨めな思い、楽しいこと、絶望感、、
こうした感情を引き起こした事実もまた、流れていきます。
今感じているのは、その時に感じた思考や感情。
それは自分でしがみつくのをやめなくては、いつまでも「今」にあり続けます。
自分でしがみついている限り、その感情は今起こっているかのように感じてしまう道筋を生きているということです。
本当のあなたは、道筋ではありません。
ただ、流れていく物事にしがみつかず、その時その時の喜怒哀楽を感じて流れていくことを見ている意識です。
全ての中心にいたと思っていた「わたし」は存在しません。
それは小さいわたし(自我)。
小さいわたしを超える存在が本当のあなたです。
とはいえ、スピリチュアルな夢も夢として、楽しんで生きていけるようになりました。
なんでもあり!と笑えるようになれたのも、ネオスピのおかげです。